「鯰神社」と「蛭子神社」です♪
吉野川市山川町翁喜台(おきだい)の「山川地域総合センター」をスタートし、すぐ東の「季邦(すえくに)」へ!!
季邦の氏神様の「鯰(なまず)神社」です♪
「川田のナマズ神」という民話があります♪
「まんが日本昔話」でも放映されたお話です(●^o^●)♪
昔、川田によく働く百姓の夫婦がいました。
ある朝、「粟飯」が一椀残ったので、棚の上にのせて野良仕事に出掛けました。
帰って来ると、椀の中は空っぽになっていました。
翌日も残った「粟飯」を椀にいれて棚においておくと、野良仕事から帰ったらなくなっていました。
もったいないので炊く量を減らしますが、何故かちょっと食べただけでおなかがいっぱいになり残してしまいます。
よその家では作物が不作なのに、この夫婦の作物はよく実りました。
ある時、何者が「粟飯」を食べに来るのかと嫁がこっそりと見張っていたら、大ナマズが棚の上の「粟飯」を食べ始めたのです!!
驚いて棚か落ちた大ナマズを鍬の柄で叩き、殺してしまいました。
それからというもの、「飯」は余るどころかいくら量を増やしても足りません。
そしてよく採れていた作物も採れなくなってしまいます。
そのうちに嫁が病気になり、寝込んでしまいます。
祈祷師にみてもらうと、急に嫁が起き上がり、布団の上に座り
「私は福の神じゃ。ナマズに化けて毎日の食事を守ってやっていたのに、私を殺してしまった」と言い出しました。
おやじは頭をこすりつけて謝り、祠を作って「ナマズ」を祀ってお祭りをしました。
やがて嫁の病気は良くなったとさ・・・!!
左が「なまず神社」です♪
昔はもう少し大きな社があったそうです!!
右が「えびす神社」です♪
「なまず神社」の脇にあった小さな祠が「えびす神社」だったそうです♪
季邦の古老に「なまず神社」の祭神を聞くと・・・
「なまず神社の神様は、なまず神様じゃ!!」とのことです(●^o^●)♪
山川町史によると、「なまず神社」は、「種穂忌部神社」の摂社で、祭神は「事代主命」となっています♪
「季邦(すえくに)」は「須恵(すえ)」という苗字があります♪
そして我が家には、昔の古い家にあった「えべっさん」が今も飾られています♪
\(^o^)/
季邦から宮地を通り・・・麦原へ!!
麦原の「野郷さん」です♪
コースを少し外れ「境谷古墳」へ向かいます♪
「日本の古代遺跡37 徳島」森浩一企画 菅原康夫著 保育社 によると・・・
国道192号から南に美郷に通じる193号の登り口を進むと、すぐに平坦な見晴らしのきく台地にいたる。
この台地の左前方に見える突出した山の尾根先端に、境谷古墳が構築されている。
構造上の特徴なより、忌部山古墳群よりも古くから忌部氏との関係が考えられてきた古墳である。
玄室長3.2m、最大幅1.8m、高さ2mで、小規模ながら端正な形態の石室である。
四枚の結晶片岩板石で天井を構成するが、かずかにドーム状にしているのみである。
1958年(昭和33)、碧玉製管玉、水晶製切子玉、耳環、鉄鏃、土師器、須恵器などが出土している。
四隅が丸くなっています!!
この古墳は、7世紀前半ごろに造られた横穴式円墳で、ほぼ原型を留める忌部山型石室古墳の一つである。
墳丘の大きさ南北ともに13m、高さ3.5m、奥行き3.2m、幅1.8m、である。
特徴は玄室内が三味線の胴型で四隅が丸く築かれ、天井石は真中に向けて順次積み重ねられいることである。
出土品は山川公民館に保存、展示されている。
続いて「淤謄夜未(おどやま)神社」に向かいます♪