$ 0 0 「紀伊忌部」を訪ねて・・・和歌山市の「竈山神社」に「忌部」の祖神「天太玉命」の孫の「天富命」が祀られていました!! 神武東征において、橿原宮を造営し、阿波国に続いて房総を開拓します。神武東征においては、手置帆負命、彦狭知命の二神の孫讃岐忌部・紀伊忌部を率いて紀伊国の材木を採取し、畝傍山の麓に樫原の御殿を作ったという・・・ 千葉県勝浦市浜勝浦「遠見岬神社」です♪房総半島の中央部、太平洋に面した場所に鎮座しています!! 「冨咲の石段」この石段に「ひな人形」が飾られます(●^o^●)♪ 石段を登ったところです♪ まだ、石段は続きます!! 勝浦の港です♪ 勝浦の市街地です!! 遠見岬神社です♪ 神武天皇の側近として活躍した天富命は、阿波の開拓を終えた後、東国により良い土地を求め阿波忌部氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸しました。そして祖神である天太玉命を祀る社を建て、安房の開拓を進めたが、その後当地で罰したという。Wikipediaより 天日鷲神の後裔の勝占の忌部須須立命は、八幡岬突端富貴島の天富命の居跡に社殿を建立、開拓の祖神として祀ったのが遠見岬神社です。 慶長6年(1601年)の大津波で社殿は決壊、この時決壊した社殿と御神体が高磯の浜に流れ着き、社殿を再造営しました。その後、万治2年(1659年)に、領主の植村土佐守が神占によって現在地の「宮山」に遷祀しています。 (●^o^●)♪