実は・・・歴史が・・・
阿波の隠された歴史を書いた本です。
たくさんの街道で繋がっていました。
「奈良街道」
難波〜奈良坂
阿波の古代史に重要な街道でした。
日本最大級の川中島「善入寺島」かつては500戸、3,000人が住んでいました。
正面に「日開谷川」の谷間が見えます!!
その手前に、阿波市市場町があります。「奈良坂」の地名が!!
しかし、洪水は肥沃な土壌を運んで来ます。
大正時代、吉野川の河川改修工事の為、島民は全員島外撤去に・・・
かつては「粟島」と呼ばれていた島名は「善入寺島」に変えられてしまいます。
瀬戸内海です。
さぬき市古代律令国家においては、寒川ぐんの下に7郷があり「難波郷」があります。
「全讃史」では・・・田面・富田東・富田中・富田西・南川・五名の諸村を「難波郷今富田曰ふ」とあります。
奈良坂 大坂峠・・・日下峠・・・難波
地名は物語る・・・