東田上観音堂
仕事で今、周辺のマップを作っています。簡単なマップですが、位置確認をしています。
文永4年(1267)に阿波刻守護の小笠原長房が岩倉城を築いた。その城内に武運加護を願って配置された六坊の一つが観音坊で、東の出城だった。戦国時代に三好山城守康長(笑岩)が城を大修築阿波における三好氏の本拠となったが天正7年(1579)土佐・長宗我部勢の進行で落城。この時の兵火で観音坊も焼失したが本尊馬頭観音立像は仏力で宙を飛んで脱出難をまぬがれたとの伝承がある。その後、寛永3年(1626)に真楽寺中興初代。快秀上人が観音坊跡に東田上観音堂を再興した・松尾山普陀楽寺とも称す。