日本最古の羽衣伝説 発祥の地
磯砂女池の羽衣伝説
北畠親房著の元元集(1337年)に
「丹後国風土記」に曰く、丹後国比治の山(磯砂山)の山頂に「井」あり、その名を真井(女池)という。
この「井」に天女八人降り来て水を浴みき。
麓の和奈佐という老夫、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。
天女万病に効く天酒をよくす、十有余年するうち、老夫の家富み栄ゆるも、
老夫は"汝はもともとわが児にあらず"と家より追う。
天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡舟木の里にたどりて死す。
里人天女を奈具社にて祀る。
こは豊宇賀能売の命(伊勢外宮の豊受大神)なり。
磯砂山の麓には「乙女神社」が祀られています♪
「羽衣伝説と乙女神社」
むかし、比治の里に三右衛門という狩人が住んでいました。
ある日、三右衛門はいさなご山の頂の池で水浴する八人の天女を見かけ、その羽衣の一つを隠しました。
三右衛門は羽衣をかくされた天女を連れて帰って妻として三人の娘をもうけました。
天女は農業や養蚕、機織り、酒つくりが上手で、この家はもとより比治の里は7たいそう豊かになりました。
しかし、天恋しさに耐えかねた天女は、三右衛門の留守に娘たちからかくした場所を聞きだし、
大黒柱の穴にあった羽衣を身につけると、外からかけ戻った三右衛門に「七月七日に会いましょう」
と再開を約して大空に舞い上がっていきました。
乙女神社は、天女の娘の一人が祀られており、お参りすると美女が授かると言われています。
「多久神社」
京都府京丹後市峰山町丹波小字湧田山。
峰山の中心部に近い神社です♪
祭神は、豊宇賀能咩命(とようがのめのみこと)で、『丹後国風土記』にいう比治山の天女とされています。
五角柱の「地神塚」もありました!!
「奈具神社」
京都府京丹後市弥栄町船木
『丹後国風土記』に・・・
丹波郡 比治の里の比治山の頂にある真奈井に天女八人が降り立ち水浴をしました。
その姿を見た和奈佐の老夫婦は、天女の衣裳をひとつ隠しました。
一人の天女は衣裳がないため天に上がれなくなり、和奈佐夫婦の子となりました。
そこで天女は、万病に効く良い酒を作り、そのおかげで老夫婦の家は豊かになりました。
しかし、豊かになった老夫婦は、天女に対してわが子でないから早く出て行けと言い、天女を追い出してしまいました。
天女は嘆き悲しみ
天の原ふりさけみれば霞立ち 家路まどいて行方とらずとも
天女は、荒塩(京丹後市峰山町久次)から、丹波の里哭木(なぎ)村(京丹後市峰山町内記)を経て、竹野郡船木里奈具の村(京丹後市弥栄町船木)へと移り
「なぐしに成りぬ湯心が安らかになりました)」と、この地にとどまりました。
この羽衣天女こそ、奈具社(奈具神社)に祀られている豊宇賀能売命とされています。
豊宇賀能売命は、伊勢神宮外宮「豊受大神}}と同一とされています。
ここにも五角柱の「地神塚」がありました♪