島根県雲南市大東町須賀の「須我神社」をあとにします♪
ここ「須賀の里むは、とってものどかな場所です♪
駐車場の横に「弁財天」が祀られていました♪
県道24号松江木次線を北上、松江市東忌部町へ向かいます♪
この県道、とってもいい道で、国道かと思うくらい整備されています♪
ゆるい坂道を「才ノ峠」へ向かっていると「蕎麦尾」がありました♪
時刻は11時30分頃・・・
立ち寄ってみましたが・・・満席でした・・・(>_<)!!
待つのはやめて(笑)、松江市東忌部町の「忌部神社」へ向かいます♪
途中、神社がありました♪
雲南市大東町薦沢の「坂本神社」です♪
立派な神社です♪
「神楽殿」もありました!!
坂本神社 御由諸
御自社の御祭神は、大国玉命(大国主命の別称)と申し、父神須佐之男命の御遺業をお継ぎになり、当出雲地業を大成され、医薬の方を司り給いしその御神穂を尊み畏みて茲に氏神として奉斎申し上げたのである。
創立の年代は延宝年中(西暦1673~80)不慮の事故にて棟札等古記録を失い不詳なれど、須我神社の古記録から天正五年(西暦1277)以前の創立に違いないことがわかる。
御社名は、須佐之男命、稲田姫命と須賀の地に宮居を給い「八雲立つ」の御神詠あり、その地御室山の坂本に当たる故、「坂本神社」と称したと伝えている。
御社地は古くは現在の引坂部落にあり、現にその辺りを「風呂の木」と称している。
然るに時代の推移に伴い現在の薦沢の地も発達し、人家も増え過密となり参拝の不便も生じた事などから現在地の南方地続き当地に移し奉斎申し上げたのである。
「雲陽誌」に「鳥居松と申す松一本田の中に御座候、昔は神を祭りし由」と見え、現在この地を「済浄久保」と称し例大祭には御神輿の御神楽もある。
その後、いつの頃か不詳なれども地続きの現社地に移し奉り境内も拡張整備され御神威益々高揚しているのである。
このように古くは薦沢引坂部落の氏神として崇敬されたのであるが、明治初年、行政区画の改正により薦沢に部落の氏神として國日に至っている。
「客神社」♪
「山神神社」♪
「金守神社(金屋子神社)」♪
「竜王神社」♪
「宮荒神社」♪
「鷺神社」♪
「坂本神社」♪
「天神神社」♪
神社のあたりの景色です♪