粟嶋神社を出て、神輿は「粟嶋」を望める地へと渡御します♪
吉野川の北岸堤防の上、神主が神輿の到着を待ちます!!
堤防の南側には、吉野川の川中島(日本最大級)の「粟嶋」が・・・!!
ここには、大正四年(西暦1915年)までは、506戸、約3000人の住民が暮らし、当時は学校や神社などがいくつも存在していましたが、水量豊かな吉野川の清流が肥沃な土壌を運び、豊かな稔りをもたらす反面、ひとたび台風などによる洪水が起きると、たちまち島全体が冠水し作物も家屋も流され、尊い人命までもが奪われるといった惨事が繰り返されました。
そこで当時の明治政府は、その対策として、明治四十年(1907年)吉野川の両岸に堤防を築く改修事業、また中洲は国有の遊水地とする計画がなされ、これに伴い、この島で暮らしてきた島民全員が強制退去を余儀なくされ、大正五年(1916年)3月31日までに無人島となり、名称も「善入寺島」と改名されました。
島外へと移住した先人たちは、現在の国土交通省管理の下、その後も占用許可を受けて、たゆまぬ努力により、農地を後世へと伝承しながら、この地を全国に誇れる「宝の島」として大切に守っています。
平坦な大地は、耕地整理、土地改良及び、道路整備が何度も重ねられ、現在ではそのほとんどが20a規模、区画に整形され、利水面でも約50km上流の池田ダムより吉野川北岸用水のパイプ配管による導水地帯として成長し続けています。
占用耕作者は約550戸で、阿波市が約八割、吉野川市が約二割を占め、両市の地域農業を支えながら、関西の台所と言われる野菜の一大供給基地となっており、カボチャ・キュウリ・ナス・ダイコン・ニンジン・ハクサイ・キャベツ・ブロッコリー・水稲など、季節ごとに多種多様な作物が栽培されています。
神輿がやってきました!!
神輿が到着しました!!
神事が始まりました♪
今回は「粟嶋(善入寺島)」へは行かないと聞いていたのですが・・・
潜水橋を渡って、粟嶋の入り口まで行ってくれることになりました♪
朝、大塚さんが出した「粟嶋史」の編集をしましたと告げた事が・・・
(^_-)-☆
粟嶋へ向かいます♪