伝言う、往昔此の地に一大巨松あり長さ九十丈(約三〇メートル)毎年一大鉅鳥ありその上に来り巣う。出入坤方(西南の方向)より口に一帛弊を含む。土人之を異とす時に神あり人に憑りて日く武州日鷲神なりと、乃ち三度トしてこれを斎祀す時に大同二年(平城天皇八〇七年)四月十八日と云う天正十七年額田の領主小野崎照道なるもの飯田村の住掛札高房と戦う事あり悉く灰燼となり村人協力再建を謀る。高房乃ち金桟を寄進し造営なる。元和六年偶々別当宣善の家火災に遇い社殿亦類焼し所蔵の旧記村里の古書等全く鳥有に啼す。
伝言う、往昔此の地に一大巨松あり長さ九十丈(約三〇メートル)毎年一大鉅鳥ありその上に来り巣う。出入坤方(西南の方向)より口に一帛弊を含む。土人之を異とす時に神あり人に憑りて日く武州日鷲神なりと、乃ち三度トしてこれを斎祀す時に大同二年(平城天皇八〇七年)四月十八日と云う天正十七年額田の領主小野崎照道なるもの飯田村の住掛札高房と戦う事あり悉く灰燼となり村人協力再建を謀る。高房乃ち金桟を寄進し造営なる。元和六年偶々別当宣善の家火災に遇い社殿亦類焼し所蔵の旧記村里の古書等全く鳥有に啼す。