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2016年青春18きっぷの旅♪食べたものの写真♪

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1月2日・3日・4日と「青春18きっぷ」で行って来た「諏訪大社」の旅の報告も終わりです♪

この3日間で食べたもの(笑)をアップします\(^o^)/

1月2日の午前6時過ぎに徳島県吉野川市山川町のJR徳島線「阿波山川駅」を出発、徳島駅に到着しました!!

徳島駅前から高速バスで、神戸・三ノ宮駅へ!!

三ノ宮駅で朝食を購入しますが・・・混んでいて新快速で米原に到着するまで食べられませんでした!!

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「焼き鯖寿司」の小パック(四切れ)です♪

米原~大垣~名古屋へと移動し、接続の関係で名古屋から塩尻まで特急「しなの」に乗車しました♪

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1か月前に宿泊施設、特急指定券を手配したのですが・・・

心配していた雪は・・・まったくなし・・・こんなの初めてです(ー_ー)!!

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名古屋駅で「コーチンわっぱめし」をゲットしました(●^o^●)♪

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鉄道旅のいいところは・・・こうしてビールを飲みながら駅弁が食べられる事です\(^o^)/

塩尻で下車し、再び各駅停車で小淵沢駅まで行って、引き返して宿泊地の上諏訪駅に午後6時半過ぎに到着しました♪

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おぉ!!「御柱祭」仕様\(^o^)/

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夕食は「うなぎ」です(●^o^●)♪

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でも・・・たっ・・・高い・・・!!

「松」・・・2700円にしときました・・・(ー_ー)!!

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味は・・・可もなく不可もなく・・・

これまで旅先だ食べていた番美味しかったのは、岐阜県の郡上八幡で食べた「うな重」です(笑)!!

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1月3日

宿泊はビジネスホテルでしたが・・・朝食バイキングは美味しかったです♪

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朝食後、1時間ほど「諏訪湖畔」を散策しました!!

上諏訪駅へ移動しますが・・・諏訪大社・上社の最寄り駅の「茅野駅」方面の列車まで30分ちょっとありました!!

ということで、駅構内にあるTULLY'Sコーヒーへ!!

上諏訪から茅野、駅前からタクシーで諏訪大社・上社「本宮」を参拝、タクシーで諏訪大社・上社「前宮」へ!!

参拝したあとタクシーで茅野駅に戻り、電車で下諏訪駅へ!!

諏訪大社・下社「秋宮」を参拝したあと、午後2時前・・・「秋宮」前で「信州そば」をいただきました♪

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「天ざるそば」です(●^o^●)♪

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自家製の「そば粉」だそうです♪

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美味しかったので(笑)、「もりそば」を追加しました\(^o^)/

このあと「春宮」に移動し参拝、下諏訪駅から上諏訪駅に戻ります!!

同じホテルに連泊します♪

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夕食は・・・見つけていた「広島焼」のお店へ!!

残念ながら・・・焼いたお好み焼きをテーブルで食べるお店でした・・・。

私、お好み焼きは・・・鉄板の上で焦がしながら食べるのが好きです・・・(笑)!!

生ビールと「ミックス焼」を注文したら・・・キャベツと「目玉焼き」が出て来ました!!

一番目の客だったので(笑)、サービスかとおもったら・・・

次のお客にも出ていました(笑)!!

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この日は歩く気疲れて・・・やっとの事で完食しました!!

1月4日

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「そば」のサラダのようなもの・・・美味しかった\(^o^)/

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高野豆腐の卵とじも良かった・・・(●^o^●)♪


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上諏訪駅7時過ぎの電車で帰ります!!

塩尻~中津川~名古屋!!

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名古屋駅で「天むす」と「オムライス」のおにぎりを購入します♪

名古屋~大垣~米原~三ノ宮・・・ひたすら乗り続けます!!

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三ノ宮で時間のある時は、高速バス乗り場のすぐ近くにあるお店で、好物の「そばめし」をいただきます♪

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もちろん「生ビール」がセットです♪

これで徳島までの2時間弱のバスが・・・快適に寝れます(笑)!!

徳島駅でも駆け込みで予定より一つ前の列車に乗れ、午後8時過ぎ無事自宅に帰り着きました♪

2015年丹後半島の旅-12♪乙女神社♪

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京都府京丹後市峰山町「天女の里」です♪

ここ峰山町は、京都の名所「天橋立」から西へ、内陸に入った場所にあります♪

内陸部にも「天女伝説」がありました!!

[#PARTS|USER|82591#]

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「天女の里」の向かいには「乙女神社」があります♪

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「羽衣伝説と乙女神社」

昔、比治の里に三右衛門という狩人が住んでいました。

ある日、三右衛門は「いさなご山」の頂きの池で水浴する八人の天女を見かけ、その羽衣の一つを隠しました。

三右衛門は羽衣を隠された天女を連れて帰って、妻として三人の娘をもうけました。

天女は農業や養蚕、機織り、酒つくりが上手で、この家はもとより比治の里はたいそう豊かになりました。

しかし、天恋しさにたえかねた天女は、三右衛門の留守に娘たちから隠した場所を聞きだし、大黒柱の穴にあった羽衣を身につけると外からかけ戻った三右衛門に「七月七日に会いましょう」と再会を約して大空に舞い上がっていきました。

乙女神社は、天女の娘の一人が祀られており、お参りすると美女が授かると言われています。

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真ん中が「乙女神社」です♪

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祭神は、豊宇賀能賣神です!!

天女の三人の娘の一人で、あと二人は「多久神社」と「奈具神社になります♪

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右は末社となる「八柱神社」です♪

祭神は、豊受大神と倭伴神です♪

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左は「吉野神社」です♪

祭神は、大山祇神と火産霊命です♪

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地神塚もありました(*^。^*)♪

「乙女神社」というから・・・「天女伝説」に引っ掛けて作った神社かと思っていましたが、由緒ある神社とわかりました!!

それ以上に驚いたのが・・・五角柱の「地神塚」の存在です♪

この「地神塚」は、阿波・淡路・讃岐の東部といった徳島藩の蜂須賀が奨励したものなのです!!

「阿波」と「丹後」の繋がりが・・・(●^o^●)♪

それと・・・「天女伝説」も「阿波」とのかかわりが大きいのです!!

\(^o^)/

2015年丹後半島の旅-13♪磯砂山と「天女伝説」♪

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去年、2015年8月15日、京都府京丹後市峰山町の「磯砂山(661m)」に登りました♪

麓の「乙女神社」を参拝したあと、林道を走り登山口をめざします♪

シカが前を走っています!!

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駐車場に到着しました!!

トイレと休憩所がありました♪

車が一台駐車していました!!

ここから2~300mほど舗装された坂道を歩きました!!

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道は行き止まりとなり、登山口がありました♪

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いさなご登山道 頂上まで1000段


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頂上まで780段

真夏、8月15日、午前9時ころです!!

丸太の階段は・・・大変です・・・(>_<)!!

まだ、日陰が多くて助かりました!!

途中、下山する方と出会いました!!

物好きな人もいるものです(笑)!!

きっと、その方もそう思ったことでしょう(●^o^●)♪

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見晴らしの良い場所に出ました!!

峰山町の南の与謝野町が見えています♪

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頂上まで500段

やっと半分です・・・(>_<)!!

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頂上まで250段

四分の三・・・あと少し・・・(^○^)♪

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前方に石碑らしきものが・・・

もうすぐ・・・頂上か・・・(●^o^●)♪


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仏教の何か・・・

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山頂付近に岩がありました!!

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こんな窪みが・・・??



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山頂が見えて来ました!!

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磯砂山の山頂です♪

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国土地理院の三角点がありました♪

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日本最古の羽衣伝説 発祥地

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京丹後市峰山町です♪

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「天橋立」が見えています♪

\(^o^)/

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山頂の様子です♪

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山頂から下って来ました♪

登りも大変でしたが・・・

下りは階段状になっているのでヒザにきます・・・!!

「磯砂女池」まで200m

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磯砂女池の羽衣伝説

北畠親房著の元元集(1337年)に・・・

「丹後国風土記」に曰く、丹後国比治の山「磯砂山(いさなごさん)」の山頂に井あり、

その名を「真井(まない)」(女池)という。

この井に天女八人降りて来て水を浴みき。

麓の和奈佐という老夫、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。

天女万病に効く天酒をよくす、十有余年するうち、老夫の家富み栄ゆるも、

老夫は"汝はもともとわが児にあらず"と家より追う。

天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡舟木の里にたどりて死す。

里人天女を奈具社にて祀る。

こは豊宇賀能売の命(伊勢外宮の豊受大神)なり。

と、このように女池の羽衣伝説は日本各地に数ある羽衣伝説の中でも、極めて格調の高いものである。

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再び山道を登ります!!

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ありました\(^o^)/

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天女が水浴びをしたという「天女女池」です♪

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ワナサと「阿波」「出雲」「丹後」と「天女伝説」-1♪

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徳島県南部、太平洋に面した海部郡海陽町(旧海南町)の「大里の松原」です♪

ちょうど一年前になります!!

私は125ccのスクーターで、徳島県北部の吉野川市山川町から、南部の海陽町までツーリングに出ました♪

[#PARTS|USER|82607#]

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目的地はここ「和奈佐意富曾神社」です♪

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林博章著「倭国創生と阿波忌部」より

県南部の海部(かいふ)郡は、『和名抄』に那賀郡海部郷とあり、海部(あまべ)族の一大拠点であった。

紀伊国海部郡、隠岐国海部郡、尾張国海部郷、丹後国熊野郡海部郷、筑前国怡土(いと)郡海部郷、信濃国県小郡郡海部郷、越前国坂井郡海部郷などは「アマベ」と読ますのだが、阿波だけは海部『加伊布』「カイフ」と訓ずる。

この海部(かいふ)郷には、那賀郡条に見える式内社「和奈佐意富曾(わなさおおそ)神社」が海部郡海陽町大里(旧海南町)に祀られている。

社名の由来は、「和奈佐」に坐す「意富曾」、『徳島県史』は「意富曾」を「大麻」の意味とする。

それは、「夏麻(なつそ)」「真麻(まそ)」「打ち麻(そ)」の事例のように麻をソと読ます場合があるためで

祭神も『徳島県史』『大日本史』は[大麻比古神]であると推定、内務省の『特選神名牒』も「大麻神」とする。

この海部郡海陽町海部「芝遺跡」には、弥生終末期の鮎喰川流域の土器や鍛冶遺構も検出され、

吉野川流域に勢力圏をもった忌部・阿曇族との強い関係が察しできる。

従って、ワナサオオソ神、すなわち大麻比古神・大麻神は、その航海力をもって日本海側の石見・出雲や丹後にも進出したのだ。

とあります。

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島根県松江市宍道町上来待和奈佐。

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「和奈佐神社」です♪

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ワナサオオソ神は、阿波より「和奈佐比古」の名を携え、日本海から宍道湖、斐伊川、玉湯川などを遡上して出雲にも進出していた。

宍道湖南岸の出雲玉作の本拠、玉湯町を流れる玉湯川の上流が宍道町なのだが、松江市宍道町上来待和奈佐には、標高282mの和奈佐山が聳え、その麓には和奈佐比古を祭神とする「和奈佐神社」が祀られている。



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なんと「地神塚」がありました♪

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阿波の影響があった証拠と私は考えています♪

近くには忌部神社があります。

もちろん「地神塚」はあります。

そして「八俣の大蛇」の伝承のある奥出雲の神社にも「地神塚」は祀られていて、この斐伊川流域は阿波との関係が深かったと思っています♪

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「船林神社」です♪

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松江市忌部町を流れる忌部川上流部より雲南市に入れば、素戔嗚尊の八岐大蛇神話の舞台となった「須賀神社」や「八雲山」がある。

その「須賀神社」付近を流れる須賀川を下れば、斐伊川支流の赤川が西流している。

その北岸には小丘陵の船岡山があり、山頂には阿波枳閇委奈佐比古命(あわきへわなさひこのみこと)を祭神とする「船林神社」が祀られている。

同社は『出雲国風土記』「大原郡」条に見える

「船岡山、郡家の東北のかた一十九里一百八十歩なり。阿波枳閇委奈佐比古命、曳き來居ゑましし船、即ち此の山、是なり。故、船岡といふ。」

の舞台で、この阿波枳閇委奈佐比古命とは、阿波から来たワナサヒコ神の意味であった。

『折口信夫全集』(「水の女」、『折口信夫全集・第二巻』所収)には、

「出雲のあはきへ、わなさひこなる社の名である。阿波から來経ー移り來て住みついーた事を言ふのだから」とある。

『出雲風土記研究』(加藤義成)は、「神名は、粟(阿波)來経和奈佐日子命の意で、今の徳島県(阿波)の国から来り巡って、現在の八束郡宍道町の大字和奈佐に静まられた彦神、即ち男神である。」と解釈する。

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ここにもしっかり「阿波」独特の「地神塚」がありました♪

ワナサと「阿波」「出雲」「丹後」と「天女伝説」-2♪

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日本最古の羽衣伝説 発祥の地

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磯砂女池の羽衣伝説

北畠親房著の元元集(1337年)に

「丹後国風土記」に曰く、丹後国比治の山(磯砂山)の山頂に「井」あり、その名を真井(女池)という。

この「井」に天女八人降り来て水を浴みき。

麓の和奈佐という老夫、天女の衣をかくし、児として無理に連れ帰る。

天女万病に効く天酒をよくす、十有余年するうち、老夫の家富み栄ゆるも、

老夫は"汝はもともとわが児にあらず"と家より追う。

天女は泣く泣く放浪し、竹野の郡舟木の里にたどりて死す。

里人天女を奈具社にて祀る。

こは豊宇賀能売の命(伊勢外宮の豊受大神)なり。

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磯砂山の麓には「乙女神社」が祀られています♪

「羽衣伝説と乙女神社」
  
むかし、比治の里に三右衛門という狩人が住んでいました。

ある日、三右衛門はいさなご山の頂の池で水浴する八人の天女を見かけ、その羽衣の一つを隠しました。

三右衛門は羽衣をかくされた天女を連れて帰って妻として三人の娘をもうけました。

天女は農業や養蚕、機織り、酒つくりが上手で、この家はもとより比治の里は7たいそう豊かになりました。

しかし、天恋しさに耐えかねた天女は、三右衛門の留守に娘たちからかくした場所を聞きだし、

大黒柱の穴にあった羽衣を身につけると、外からかけ戻った三右衛門に「七月七日に会いましょう」

と再開を約して大空に舞い上がっていきました。

乙女神社は、天女の娘の一人が祀られており、お参りすると美女が授かると言われています。

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「多久神社」

京都府京丹後市峰山町丹波小字湧田山。

峰山の中心部に近い神社です♪

祭神は、豊宇賀能咩命(とようがのめのみこと)で、『丹後国風土記』にいう比治山の天女とされています。

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五角柱の「地神塚」もありました!!

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「奈具神社」

京都府京丹後市弥栄町船木

『丹後国風土記』に・・・

丹波郡 比治の里の比治山の頂にある真奈井に天女八人が降り立ち水浴をしました。

その姿を見た和奈佐の老夫婦は、天女の衣裳をひとつ隠しました。

一人の天女は衣裳がないため天に上がれなくなり、和奈佐夫婦の子となりました。

そこで天女は、万病に効く良い酒を作り、そのおかげで老夫婦の家は豊かになりました。

しかし、豊かになった老夫婦は、天女に対してわが子でないから早く出て行けと言い、天女を追い出してしまいました。

天女は嘆き悲しみ

天の原ふりさけみれば霞立ち 家路まどいて行方とらずとも

天女は、荒塩(京丹後市峰山町久次)から、丹波の里哭木(なぎ)村(京丹後市峰山町内記)を経て、竹野郡船木里奈具の村(京丹後市弥栄町船木)へと移り

「なぐしに成りぬ湯心が安らかになりました)」と、この地にとどまりました。

この羽衣天女こそ、奈具社(奈具神社)に祀られている豊宇賀能売命とされています。

豊宇賀能売命は、伊勢神宮外宮「豊受大神}}と同一とされています。

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ここにも五角柱の「地神塚」がありました♪







タケミナカタ神と「諏訪大社」「多祁御奈刀彌神社」♪

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大雪です・・・。

朝からずっと降り続いています・・・

(ー_ー)!!

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長野県「諏訪湖」です!!

今年の正月休みを利用して、二泊三日の「青春18きっぷ」を使った「各駅停車の旅」に出て来ました!!

寒い諏訪盆地、寒さ対策をして行ったのですが・・・

雪はまったくなし・・・三月頃の陽気でした・・・。

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1月3日、まず最初に参拝したのが諏訪大社・上社「本宮」です!!

信濃國一之宮 諏訪大社

お諏訪様・諏訪大明神と親しまれ、崇敬されている諏訪大社は、諏訪湖をはさんで南に上社、北に下社があります。

更に上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれて鎮座しています。

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続いて、諏訪大社・上社「前宮」へ!!

御祭神は

建御名方神(男神)  八坂刀売神(妃神) そして八重事代主神(兄神)が合祀されています。

父神は大国主神です。

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鉄道で移動し、午後からは、諏訪大社・下社「秋宮」へ!!

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そして最後は、諏訪大社・下社「春宮」を参拝し、四社詣りをすることが出来ました!!


葦原中国(出雲国)の平定で、かなかな進まず困り果てた天照大御神が、思金神に相談し、天石屋に住む伊都之尾羽張神、あるいはその子である建御雷之男神を派遣するしかないということになります。

そこで、天迦久神を遣わして伊都之尾羽張神に尋ねると、子の建御雷之男神を遣わすことになりました。

天照大御神によって派遣された建御雷之男神と天鳥船神は、伊那佐之小浜に着くと、大国主神に国譲りを迫ります。

大国主神は、子の八重事代主神に聞いて欲しいといいます。

八重事代主神は「この国は天神の御子に奉りなさいませ」と父の大国主に告げ、天逆手を打って青柴垣をつくり隠れてしまいました。

今度は大国主のもうひとりの子供の建御名方神が千引岩を片手に掲げながら現れ、力競べを挑みます!!

天神は、その手を氷の柱や剣の刃に変化させ、建御名方の手を逆さにつかみ返し、まるで葦の若芽のように軽く握りつぶして放り投げました!!

建御名方は驚き畏れ、科野国の州羽海まで逃げ去り、降伏したといいます。

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元諏訪・多祁御奈刀彌神社

徳島県名西郡石井町浦庄字諏訪213-1

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元諏訪・多祁御奈刀彌神社由緒からの抜粋

多祁御奈刀彌神社の御祭神は、建御名方命と妃の八坂刀売命です。

建御名方命の父親は大国主命で、母親は高志の八坂刀売命です。

阿波志には、「建御名方命の御母は阿波の高志の沼河比売・天水塞比売なりと云へり。名西郡高志の郷、現今はたかはら村の塞村・堰村とも書きたる関傍示に天水塞比売を祀れる旧跡あり。」とあります。

この、天水塞比売を祀る旧跡を杉尾神社といいます。

現在の行政区割りでは吉野川市鴨島町牛島字杉尾200番です。

建御名方命の母親の高志の沼河比売を祀る杉尾神社の社伝記には

「第四十九代光仁天皇の御宇 宝亀十年 信濃國諏訪郡 南方刀美神社大明神は 阿波國 諏訪大明神を移遷し奉る」

とあり、長野県の「諏訪大社は、宝亀十年(西暦779年)に阿波國の諏訪神社から移遷されたものである。」と書かれています。

つまり、長野県の諏訪大社は石井町の諏訪神社・多祁御奈刀彌神社から宝亀十年(779年)に移遷されたのです!

\(◎o◎)/!

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徳島県阿波市市場町香美字郷社本18

式内社 阿波國阿波郡 建布都神社



御祭神は、建布都神(武甕槌神) 経津主神 大山祇神 事代主命神

式内社建布都神社は、全国で唯一、徳島県(阿波國)のみにある神社です!!

\(^o^)/



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建御名方神社

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島根県奥出雲町大字鴨倉565

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ここにも阿波独特の五角柱の「地神塚」がありました!!


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鳥屋神社

島根県簸川郡斐川町鳥井815

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御祭神は、建御名方神、大国主神、事代主神、少彦名神、八十神、天菩比神、天若日子神、天照大神、八百萬神、宇加之魂神、疫神。

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ここにも阿波独特の「地神塚」がありました!!

\(^o^)/

2015年丹後半島の旅-14♪藤社神社♪

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2015年8月、お盆休みを利用した旅の続きです♪

「磯砂山」に登ったあと・・・麓へ・・・!!

続いての目的地「藤社(ふじこそ)神社」です♪

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大きな蔓がありました!!

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藤社神社の祭神は、「保食神」(うけもちのかみ)です♪

伊勢神宮・外宮の「豊受大神」の事です\(^o^)/

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当社は「止由気宮儀式帳」などの記録によると、崇神天皇の時代、比治山に降臨された豊受大神を祀ったのが始まりとされ、古老によると、丹波道主命の創始とも伝えられています。

雄略天皇二十二年に伊勢に奉遷された後も、引き続きその地に祀ったと伝えられ、五穀豊穣養蚕守護神として篤く信仰されています。

内陣は、正徳四年に再建され、明治四年本殿を改築しましたが、昭和二年当地方を襲った丹後大震災により大半が破損しました。

復興に際し、その由緒によって昭和五年、伊勢神宮の式年遷宮に関わる社殿の扉、柱等の古材を下賜いただくこととなり、昭和十二年九月神明造りの本殿並びに、回廊、水屋、弁天池の真名井祠、和奈佐祠を建造、現在に至っています。

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境内の様子です♪

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「おっ!!」

ここにも、阿波独特の五角柱の「地神塚」が・・・

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私は・・・阿波からの伝承が、ここ丹後・峰山に・・・と思っています♪

「和奈佐」とともに・・・!!

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本殿の後ろには・・・「和奈佐祠」が祀られていました!!

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境内社の「武大神社」です♪

祭神は、須佐男命。

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「弁財天社」です♪

祭神は、市杵島姫です♪

航海ま神、知恵・音楽・建築の神で七福神の一人です!!

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「大山祇社」です♪

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「天満神社」です♪

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「天一目社」です♪

ヽ(^o^)丿

2015年丹後半島の旅-15♪比沼麻奈為神社♪

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式内社比沼麻奈為神社

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京都府京丹後市峰山町久次宮谷510

[#PARTS|USER|82667#]

主祭神 豊受大神

相殿  瓊瓊杵尊  天之児屋根命  天之太玉命

比沼麻奈為(ひぬまない)神社は、「豊受大神」を主祭神としてお祀りしているお社です。

天照大神が、今の伊勢内宮に御鎮座なされた後、雄略天皇の枕元に現れ、丹波国(現在の丹後国)の比沼真奈井にいる御饌の神「豊受大神」を呼寄せたいと言う御告げがふったため、この地より現在の伊勢神宮外宮に遷宮されましたが、その元のお社で御分霊を留めてお祭りしているのがこの比沼麻奈為神社です。

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拝殿が見えて来ました♪

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神明造、千木は外削、拝殿の勝男木は七本。

本殿は文政九年の建立、外本殿と拝殿は大正年間の建立です♪

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おっ!! 本殿の隣には・・・なんと五角柱の「地神塚」がありました(●^o^●)♪

これは・・・実は「阿波」独特も物なんです!!

江戸時代に蜂須賀公が奨励し、阿波・淡路・東讃岐に多く見られます♪

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何故、丹後の峰山町にあるのか・・・

「天女伝説」に関係する神社に見られました♪

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比沼麻奈為神社には「豊受大神」とともに「天之太玉命」も祀られています♪

「豊受大神」の別名は「大宜都津比売(おおげつひめ)」、阿波の国神です♪

そして「天之太玉命」は「忌部」の祖神です♪

「忌部」が「天女伝説」を伝えた・・・(●^o^●)♪

「すえドン説」(笑)♪

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御由緒

遠き神代の昔、この真名井原の地にて田畑を耕し、米・麦・豆等の五穀を作り、また、蚕を飼って衣食の糧とする技をはじめられた豊受大神を主神として、古代よりおまつり申しています。

豊受大神は伊勢外宮の御祭神で、元はこのお社に御鎮座せられていたのです。

すなはち、このお社は伊勢の豊受大神(外宮)の一番元のお社であります。

多くの古い書物の伝えるところによれば、崇神堪能の御代、皇女 豊鋤入姫が天照大神の御神霊を奉じて、大宮処を御選定べく、丹波国(現在の丹後国)吉佐宮に御遷幸になった時、此処にお鎮まりになっていた豊受大神が、天の真名井の清水にて作られた御饌を大神に捧げられたものと伝えられている。

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2015年丹後半島の旅-16♪奈具神社♪

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延喜式内奈具神社

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京都府京丹後市弥栄町船木273

ちょっと・・・驚きました・・・。

鳥居の前に・・・線が張られていました・・・

電気が流れています・・・

神社に入れません・・・

ジャンプして越えましたが・・・

京丹後市の関係者の皆様・・・神社の入口に・・・これはないです・・・!!

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石段を登ります。

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奈具神社が見えて来ました!!

祭神は、豊宇賀能賣命です♪

「丹後国風土記」と奈具神社

奈良時代に編纂された「丹後国風土記」は、後の時代になってほかの書物に引用された文章(逸文)が伝わっています。

そのひとつに「奈具社」があります。

その内容は次の通りです。

丹波の郡 比治の里の比治山の頂にある真奈井に天女八人が降り立ち水浴をしました。

その姿を見た和奈佐の老夫婦は、天女の衣裳をひとつ隠しました。

一人の天女は衣裳がないので天に上がれなくなり、和奈佐夫婦の子となりました。

そこで天女は、万病に効く善い酒を作り、おかげで老夫婦の家は豊かになりました。

しかし、豊になった老夫婦は天女に対して、わが子ではないから早く出て行けと言い、天女を追い出してしまいました。

  天の原 ふりさけみれば 霞立ち  家路まどいて 行方しらずも

という和歌を一首詠みました。

天女は、荒塩(京丹後市峰山町久浜)から丹波の里 哭木(なぎき)村(京丹後市峰山町内記)を経て

竹野郡船木里 奈具の村(京丹後市弥栄町船木)へと移り

 「なぐしく成らぬ(心が安らかになりました)」

と、この地にとどまりました。

この羽衣天女こそ、奈具社(奈具神社)に祀られた豊宇賀能売命とされています。

豊宇賀能命と豊受大神は、同神といわれています♪

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境内社の「秋葉神社」です。

祭神は、素戔嗚命です!!

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境内社の「若宮神社」です♪

祭神は、可遇土神!!

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ここにもありました!!

地神塚です♪



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天照皇大神

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大己貴命

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少彦名命

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埴安姫命

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倉稲魂命


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神社の前は水田です♪

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籠神社へと向かいます♪

2015年丹後半島の旅-18♪元伊勢・籠神社♪

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元伊勢・籠(この)神社です♪

京都府宮津市字大垣430



籠この神社 (古称 吉佐宮よさのみや)

御祭神 彦火明命

相 殿 豊受大神 天照大神 海神 天水分神

神代の昔より、奥宮眞名井原に豊受大神をお祀りして来ましたが、その御縁故によって崇神天皇の御代に天照大神が大和國笠縫邑からおうつりになり、之を吉佐宮と申し、豊受大神と共に四年間お祀りしました。

その後、天照大神は垂仁天皇の御代に、又豊受大神は雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢におうつりになりました。

それに依って當社は元伊勢と云われております。

両大神がおうつりの後、天孫彦日明命を主祭神とし、社名を籠宮と改め、元伊勢の社、又丹後国一之宮として、朝野の崇敬を集めてきました。

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重文 狛犬 阿吽一対  伝 鎌倉時代作

伝承によると、作者の一心で魂の入った狛犬が、天正年中、不意に天橋立の松林に出現して、元伊勢詣りの参拝者や通行人を驚かせた。

偶々親の仇討ちにひそんでいた岩見重太郎が之れを聞いて鎮霊を決意し、一夜待ち構えて音の方向に剛刀を一閃したところ、石の狛犬の前脚が切れて出現が止んだと云う。

以来、社前に還座して専ら魔除の霊験が聞こえたと伝えられる。

他所と違い、胴と脚がどっしりして、日本化された狛犬の最大傑作と云われる。

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噂では聞いていましたが・・・

境内撮影禁止

立て看板がありました・・・・

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ということで・・・以前に行った時の写真で紹介します♪

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籠神社へは4回目の参拝となります。

初めて来たのは会社の社員旅行でした♪

城崎温泉で宿泊し、伊根の舟屋を見て、天橋立へ!!

籠神社は参拝したはず・・・というくらいの記憶で、ケーブルカーに乗って傘松公園で松茸入りのすき焼きを食べたことだけは、しっかりと覚えています!!

2回目、3回目はともに正月に「青春18きっぷ」を使った旅で、一泊二日の北近畿タンゴ鉄道の乗りつぶしも兼ねた歴史旅です♪

そして4回目は車を使って来ています♪


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境内社が並びます。

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「産霊岩」です。

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天照大神和魂社

御祭神  天照大神和魂

由  緒  古代から本宮に祭る大神を特に和魂の働きで祭祀。

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春日大明神社

御祭神  武甕槌命  経津主命  天児屋根命  比売神

由  緒  古代には武甕槌社と称したと伝えられる。

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猿田彦神社

御祭神 猿田彦大神

由  緒  古代から大世多大明神と呼ばれ、霊験顕著


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倭宿禰命 別名・珍彦(うずひこ)・椎根津彦・神知津彦

籠宮主祭神 天孫 彦火明命第四代

海部宮司家4代目の祖

神武東遷の途次、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現われ、神武天皇を先導して浪速・河内・大和へと進み、幾多の献策に依り大和建国の第一の功労者として、神武天皇から倭宿禰の称号を賜る。

外に大倭国造、倭直とも云う。

大倭の宇音は、後の大和の国号に深い関係があると云われる。

亀に乗ったお姿は、応神朝の海部の賜姓以前、海人(あま)族の始原の一画を語り、又 海氏(あまうじ)と天系(あまけい)との同一出自をも示唆するようである。


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2015年丹後半島の旅-19♪籠神社奥宮真名井神社♪

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天橋立の松林です♪

籠神社から、奥宮の真名井神社へと向かいます♪

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ここで鳥居の方向へ曲がり、真っ直ぐ行ったところが奥宮の真名井神社です♪

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籠神社奥宮真名井神社

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奥へと進みます♪

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しかし・・・ここも境内は撮影禁止
です・・・(>_<)!!

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奥宮の真名井神社が見えて来ました!!

真名井神社は、社殿の左右に塀が設けられ・・・奥へは入れなくなっていました・・・。

残念です!!

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以前に撮った写真です♪

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この社殿の左右に塀が・・・



磐座主座(上宮) 豊受大神 (亦名 天御中主神・国常立尊)

相 殿 罔象女命・彦火火出見尊・神代五大神

磐座西座(日之小宮) 天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神

祝 部 海部氏

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御由緒

古代丹波の最高神である豊受大神を氏神として戴いて当地方に天降られた天照國照彦火明命は、大神様をお祭りするのにふさわしい神聖なところとして、常世の波の寄せる天橋立のほとりのこの地わお選びになりました。

こうして名勝天橋立の北端真名井原に御鎮座、第十代崇神天皇の時に天照皇大神の御霊代が當宮にお遷りになり、吉佐宮と申して豊受大神と御一緒に四年間お祭りされました。

元伊勢の御由緒の起こりです。



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磐座主座

豊受大神

五穀農耕や織物の祖神

「衣食住」を始めとするあらゆる産業の守護神でもある。

特に水の徳が顕著で、生命の守護神でもあります。


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磐座奥座

鹽土老翁(しおつちのおじ)・宇迦之御魂・熊野大神・愛宕神



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磐座西座

天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神


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2015年丹後半島の旅-20♪倭文神社♪

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式内社 丹後国與謝郡 倭文しどり神社

京都府与謝郡与謝野町三河内1453

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広い境内です!!

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裏山は「倭文神社古墳群」です♪

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古い狛犬です♪

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「二の鳥居」

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倭文神社


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石段を登ると「割拝殿」です!!


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本殿です!!

倭文神社の由来

当社は和銅五年(西暦712年)、当時この地域で綾錦を織ることとなり、丹後国一の宮籠神社海部直愛志(あまべのあたいえし)が勅命を奉じて倭文神を祀ったのが創まりであります。

祭神である倭文神の「倭文」とは、上古の織物の意で遠く神代の昔、織物を掌られた祖神天羽槌雄神 別名建葉槌神のことであります。

当社は延喜式内社で官幣にも与り醍醐天皇もご信仰あらせられ祭祀も盛んに行われて参りました。

貞応二年(1223年)には、ご神託があり筬(おさ)村から現今の石崎の社に奉遷され爾来一般には石崎大明神と尊称されています。

歴代の領主を始め、衆庶の篤い信仰を集めた当社は、従二位に叙せられ、昭和十九年神衹院第十九第三三號を以て府社に昇格されました。




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天羽槌雄(あめのはずちお)神は、天羽雷(あめのはずち)命や倭文(しとり)神、倭文(しず)神とも呼ばれます。

天照大神を天の岩戸から誘い出すために、文布(あや)を織ったとされています。

同じ織物の神では栲幡千々姫(たくはたちじひめ)命、天棚機姫(あめのたなはたひめ)命が挙げられますが、

天羽槌雄神は機織りの祖神とされています。

また倭文氏の遠祖でもあり、全国の倭文神社、静神社、服部神社などで祀られています♪


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本殿から割拝殿を見ます。

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本殿左の境内社三社です♪

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境内摂社の「稲荷神社」です♪


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これは摂社の「粟島神社」でしょうか??

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社務所です!!

つるぎ町へプチツーリング♪鉛筆画の題材の取材♪

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1月も今日で終わりです!!

午前中は、家の雑用をこなします♪

あまりに天気がいいので、午後から今年初めてのオートバイでプチツーリングに出かけました♪

目的は、徳島の情報誌「徳島人」に毎月連載中の鉛筆画の題材の取材です♪

今、次ぎの作品を制作中で・・・

その次の題材の写真が古いのしかなかったので、今日は気分転換に撮影に行って来ました♪

写真は最初に寄った、美馬市穴吹町の「正八幡大神宮」です♪

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「貞光川」です♪

剣山に源を発し、吉野川へと流れ込みます!!

別名「木綿麻(ゆうま)川」♪

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「寒ジャコ」?!

を釣っていました(*^。^*)♪

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徳島県美馬郡つるぎ町貞光字端山、川見津に「八丁坂」というバス停があります♪

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ここから畑の中の小道を下って行ったところに、端四国八十八ヶ所の第25番札所の「川見ノ津堂」があります♪

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「川見ノ津堂」です♪

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続いて訪れたのが、端四国八十八ヶ所の第26番札所「日浦堂」です♪

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「日浦堂」です(*^。^*)♪

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三方に壁のない「開放堂」です(●^o^●)♪

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「日浦堂」のすぐ上に石積みの祠がありました!!

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日浦集落にある「三所神社」です♪

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\(^o^)/

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端四国八十八ヶ所の第27番札所「宮平堂」です♪

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ここから下った川沿いに「蜂須神社」があります♪

「蜂須崖」の下に鎮座しています!!

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ここの上に架かる橋の下に・・・「蜂の巣」が・・・

スズメバチ・・・(>_<)!!

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端四国八十八ヶ所の第28番札所の「長瀬堂」です♪

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すぐ隣りにある「五所神社」です♪

ヤマハ・マジェスティ125で、約3時間ほどのミニツーリングとなりました!!

\(^o^)/

式内社 阿波國美馬郡 八十子神社(蜂須神社)♪

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エメラルドグリーンの清流・・・

剣山から流れ出し、四国の大河「吉野川」に流れ込む「貞光川」です♪

「貞光川」は、別名「木綿麻(ゆうま)川」と呼ばれています♪

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昨日の日曜日、徳島の情報誌「徳島人」に連載中の鉛筆画の題材の取材のためにつるぎ町へ!!

「お堂」の八十八カ所「端(はば)四国八十八ヶ所霊場」を廻る途中、私の大好きな神社に立ち寄りました♪

つるぎ町貞光から国道438号を剣山へと向かう途中、「木綿麻(ゆうま)温泉の近く「蜂須トンネル」を抜け、橋で貞光川を越えるのですが、そのすぐ下にあるのが「蜂須神社」です♪

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見えているのが、「蜂須トンネル」を抜けて、すぐ橋で貞光川を渡っています♪

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このすぐ上、「蜂須崖」の下に「蜂須神社」は鎮座しています♪

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下流を見たところ!!

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この狛犬は・・・年代物です(●^o^●)♪

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「蜂須神社」です♪

徳島県美馬郡つるぎ町貞光字宮平7

式内社 阿波國美馬郡 「八十子神社」に比定されています♪

祭神は「八千矛神」・・・・「大国主神」の別名の一つです!!

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山の山頂下に「川見集落」が見えています♪

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神文は「丸に槌」です♪

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つるぎ町「五所神社」(五社神社)♪

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「五所神社」です♪

地図には「五所神社とありますが・・・扁額には「五社神社」・・・???

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徳島県美馬郡つるぎ町貞光大字端山字長瀬197

つるぎ町貞光から、国道438号で剣山へ行く途中、「木綿麻(ゆうま)温泉」の近く、友内山へと向かう脇道へ入ってすぐのところにあります♪

「貞光町史」によると、創立は貞亨三年(1686)、五社大明神と呼ばれていました!!

明治元年(1868)、五所神社と改称さましたが・・・

地域の人は五社神社と呼び続けているそうです♪

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祭神は・・・

天照皇大神・大己貴命・少彦名命・稲倉魂命・埴安姫命

んん・・・???

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この地神塚の刻まれている神名を見て・・・???

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「天照皇大神」

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「大己貴命」

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「少彦名命」

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「稲倉魂命」

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「埴安姫命」

この五角柱の「地神塚」は、「阿波」独特(淡路・東讃も含む)に独特のものです♪

江戸自体に蜂須賀が奨励したものです♪

「五社神社」の祭神は・・・別の神様とおもうのですが・・・

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一段低い場所にも、狛犬と石祠が祀られています♪

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形がユニークです(*^。^*)♪

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こんな祠も・・・

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こんな感じで・・・

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南側にあった石造物です♪

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石だらけです!!

(●^o^●)♪

鯉喰神社と備前焼の「狛犬」♪

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先日、新聞で岡山の「鯉喰神社」の備前焼の「狛犬」が盗難にあったという記事を見ました!!

なんと罰当たりな人がいるのでしょう・・・

盗んだ人・・・これから大変な目に合いますよ・・・(ー_ー)!!

「温羅」に関係の深い神社の「狛犬」を盗むなんて・・・

地獄に落ちて・・・鬼から拷問をうける・・・(>_<)!!

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岡山県では、最近、備前焼の「狛犬」の盗難が続いているとか・・・

いやな世の中になって来ました・・・

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鯉喰神社

岡山県倉敷市矢部109


徳島新聞の写真は、右の狛犬が盗まれていました!!

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吉備の国平定のため、吉備津彦命が来られた時、この地方の賊 温羅が村人達を苦しめていた。

戦さを行ったが、なかなか勝負がつかないその時、天より声がし、命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き刃折を自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。

すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で捕食した。

それを祭るため、村人達はここへ鯉喰神社を建立した。

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「神門」です♪

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廊下を進むと「拝殿」となります♪

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この時は、ヤマハ・セロー225で訪れました♪

(●^o^●)♪

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岡山県の神社には、多くの備前焼の狛犬が存在します♪

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こんな人物像も・・・!!

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岡山県和気郡和気町の吉井川沿いにあった「天石門別神社」です♪

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同じく和気町にあった「速玉男神社」です♪

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盗んだ方へ・・・

早く・・・自首して・・・積みを償いなさい!!

脇町「うだつの町並み」の鬼瓦♪

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鬼が舌を出しています・・・\(^o^)/

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徳島県美馬市脇町、徳島県の北部、吉野川の中流域にある町です♪

道の駅「藍ランドうだつ」から見た「うだつの町並み」です♪

ここはかつての船着き場・・・!!

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最近、新しい・・・じゃなくて・・・古い建物を改修した施設がオープンしました♪

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「うだつの町並み」です♪

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重厚な「うだつ(防火壁)」が屋根にあります!!

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なかなか風情のある町並みです♪

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豪商の家「吉田家住宅」の中庭です♪

通りは、低い二階建てですが・・・

裏にまわると・・・豪華な造りです(●^o^●)♪

その屋根にある鬼瓦が・・・最初にアップした舌を出した鬼瓦です♪

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「あっかんべ~」

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脇町「うだつの町並み」の「鬼瓦」は、とっても面白いのです!!

これまでに・・・観光協会に企画提案したのに・・・

採用されず・・・そのまま・・・

言っていただければ・・・再提案いたします(●^o^●)♪

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(●^o^●)♪

正八幡大神宮と三島古墳群♪

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徳島県美馬郡穴吹町三島、国道192号とJR徳島線が並走しる四国山地の麓・・・

秋になると黄色く染まるイチョウの木があります♪

三島にあるから「三島八幡神社」かと思っていました♪

実は・・・「正八幡大神宮」でした\(^o^)/

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ヤマハ・マジェスティ125で行きました(*^。^*)♪

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資料がなくて・・・祭神はわかりません・・・。

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裏にはたくさんの石造物が・・・

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「地神塚」もありました♪

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ここから西へいったところに「正八幡宮」があります♪

JR徳島線「小島駅」の南の山にあり、「八十子神社」に比定されている「王子権現」が合祀されています♪

この三島の「正八幡大神宮」のすぐ西には「三島古墳群」があります♪

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ここは以前にヤマハ・セロー225で行きました♪

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「三島古墳群一号墳」です♪

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規模は小さいのですが・・・前方後円墳です♪

横穴式石室があります♪

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(●^o^●)♪

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なんと・・・一号墳には、もう一つ横穴式石室がありました\(^o^)/

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「三島古墳群二号墳」♪

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\(^o^)/

種穂山と種穂忌部神社♪

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阿波富士こと「高越山」♪

この右手に延びる支脈が「種穂山(たなぼやま)」です♪

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吉野川市山川町と美郷の境、「種野峠」から見た「種穂山」です♪


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「種穂山」の先端は、吉野川へと至ります!!

ここは、「阿波」(徳島県)の北部、吉野川の中流域で川幅がもっとも狭くなる場所で、北部の文化・気候等の分岐点となります♪

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麓の川田から見た「種穂山」です♪

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「高越山」の山頂、弘法大師像のある場所から見た「種穂山」です♪

先端の標高約380mの場所に、「種穂忌部神社」が鎮座します♪

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「高越山」の山頂の駐車場から、林道を美馬市穴吹町側へと下ります♪

「空野牧場」からの眺めです♪

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「種穂山」が近づいて来ました♪

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美馬市穴吹町「渕名」集落からの眺めです!!

右が「高越山」、左に延びて吉野川にぶつかるのが「種穂山」です♪

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かつては吉野川市山川町側と、美馬市穴吹町側からの登山道だけでしたが、今は山川町側から車道が山頂のの「種穂忌部神社」まで延びています♪

とはいっても、急斜面、九十九折れの狭い道路です♪

ジムニーのような軽の四駆でないと無理です!!

普段は車は入れなくなっています!!

対向出来る場所がなく・・・大変な事になります・・・!!

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私はオートバイで登っています!!

この灯篭まで登り、後は歩いて「種穂忌部神社」へ向かいます♪

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「種穂忌部神社」です♪

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「豊玉毘賣祭」徳島県名西郡石井町「王子神社」-01♪

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徳島県名西郡石井町高原字桑島54

今日2月7日(日)、「王子神社」で「豊玉毘賣祭」が行われました♪

お世話をしていただいたのは、「石井古事記研究会」「阿波古事記研究会」の皆さんです♪

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「扁額」には「王子神社」とありますが・・・

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境内には「豊玉毘賣神社」の石碑が・・・(●^o^●)♪

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こまの神社は「南向き」です♪

最初の写真の鳥居は、神社の南にありました♪

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しかし・・・東側の鳥居には・・・「玉子神社」とありました!!

「王子」と「玉子」・・・(●^o^●)♪

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「王子神社けの拝殿です♪

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「王子のクス」

とっても見事な巨樹です♪

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ここで奉納が行われます。

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本殿です♪

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「地神塚」もありました♪

ここのは「五角柱」ではなく・・・なんと「六角柱」でした!!

六面目は・・・年代が刻まれていました♪

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「海神」らしく・・・波模様です・・・!!

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境内にある集会所では、「多家良塚(たからづか)佐那河内組」による「神楽」、「天照大御神」の予行演習が行われていました♪

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また、改めて紹介します♪

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いよいよ本番です♪

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神事が行われました!!

この頃になるとかなりの冷え込みとなり、時折「あられ」も舞っていました!!

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奉納 「剣の舞」 石井町窪道場

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奉納 「神楽 天照大御神」 多家良塚 佐那河内組

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無事、終了しました♪

\(^o^)/

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帰りに「紅白玉子餅」をいただきました\(^o^)/
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