香川県三豊市豊中町笠田竹田。
香川の「忌部神社」です♪
祭神は「手置帆負命(たおきほおひのみこと)」です♪
『ウィキペディア』を参照すると・・・
手置帆負命は、天照大神が天の岩屋に隠れてしまわれた時、彦狭知命(ひこさしりのみこと)と共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらたか)という御殿を造営した。
天児屋命(あめのこやねのみこと)らが祈りを捧げ、天鈿女命(あめのうずめのみこと)が舞を奏したところ、天照大神は岩屋を出て、この瑞殿に入られた。
後年この間に天降りした大国主命(おおくにぬしのみこと)の笠縫として仕えたとされる。
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そんな「讃岐忌部」の祖「手置帆負命」を祀る神社が、千葉県の旧安房郡丸山町宮下にあります♪
宮下の式内社「莫越山(なこしやま)神社」です♪
祭神は「手置帆負命」と「彦狭知命」!!
日本各地を開拓した 阿波忌部の足跡
安房国編
~古の『古語拾遺』の記憶~
林博章さんの著書より参照させていただきます♪
由来は、『莫越山神社記』や『莫越山神社往昔記』等によれば、神武天皇辛酉元年の創立で、『延喜式』神名帳の安房国朝夷郡条にある「莫越山神社」に比定される。
祭神は、上記2神の子孫「小民命」と「御道命」であり、両神はかつて相殿に祀られていた。
『古語拾遺』の「造殿の斎部」条には、
「天富命(太玉命の孫なり)をして、手置帆負・彦狭知のニはしらの神が孫を率て、斎斧・斎鋤を以て、始めて山の材を採りて、正殿を構り立しむ。
所謂、底つ磐根に宮柱としり立て、高天原に搏風高しり、皇孫命のみづ御殿を造り仕え奉れるなり。
故、其の裔、今紀伊国名草郡御木・麁香の二郷にあ在り。(古語に正殿は、麁香と謂ふ。)
材を採る斎部の居る所は御木と謂ふ。
殿を造る斎部の居る所は麁香と謂ふ。
是其の証なり。」
とあり、手置帆負命・彦狭知命の末裔が、紀伊国の名草郡の御木(みき)・麁香(あらか)に居るとある。
讃岐忌部と紀伊忌部
『古語拾遺』には「手置帆負・彦狭知のニはしらの神をして~」とあるように、讃岐忌部氏の祖神「手置帆負命」と、紀伊忌部氏の祖神「彦狭知命」が並列に書かれ、また手置帆負命が紀伊にも居住し、この2神の末裔が紀伊国名草郡の御木・麁香に居住していると記されている。
『日本書紀』には、手置帆負命は作笠者(かさぬい)、彦狭知命は作盾者(たてぬい)とあり、共に役割が異なる専門技術者であったとみられる。
「讃岐忌部」の事を書こうとしていたら・・・
「紀伊忌部」になってしまった・・・(ー_ー)!!
「阿波忌部」ばかり追っかけていたから・・・
ちょっとお隣の「讃岐忌部」に色気を出したら・・・
「紀伊忌部」に睨まれた・・・
感じ・・・(笑)♪
和歌山へもいかなくては・・・!!
和歌山は、南海フェリーに乗って、絶対スクーターだなぁ!!
(●^o^●)♪