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Channel: すえドンのフォト日記
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2014年 スルッとKANSAI 2DAYチケットの旅-07♪溝咋神社♪

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「三島鴨神社」から、歩いて「三島江」バス停へ戻って来ました♪

距離にして700mくらいなのですが・・・

お盆の8月14日のこと・・・とにかく暑かった!!

時間も午後3時半頃です!!

高槻市の「三島江」バス停から、茨木市の「二階堂」バス停まで移動します♪

そこから次の目的地「溝咋神社」を目指して歩きました(^O^)♪



地図で確認すると・・・「安威川」沿いにあったので、土手が見えてきたので土手に登ります!!

しかし・・・これはとっても大回りとなってしまいました!!

神社は見えているのに、手前が住宅地で・・・迷路のようになっていて、なかなかたどり着けません!!




結局、土手に登った場所まで戻って来て・・・ありました「溝咋神社」鳥居が!!

実は、「二階堂」バス停で降りてから北へと進み、T字路にぶつかりました!!

右手に土手が見えたので、土手へと進んだのですが・・・

左へ10mも行けば鳥居があったのです!!

地図の神社の位置より、かなり手前です・・・!!

参道がとっても長かったのでした!!

ヽ(´▽`)/



「溝咋神社」です♪




参道が続きます!!



溝咋神社

延喜式の古社であって、祭神は

媛踏鞴五十鈴媛命(ひめたらいすずひめのみこと)  溝咋玉櫛媛命(みぞくいたまくしひめのみこと)

を主祭神とし、相殿に

三島溝咋耳命(みしまみぞくいみみのみこと)  天日方奇日方命  速素戔嗚尊  天児屋根命

を祀っています。

日本書紀 神武天皇の本文には

五十鈴媛命は、わが国初代の神武天皇の皇后になられたと記されています。

また玉櫛媛の父は、三島溝咋耳命であって、古代において広くこの地方を統裁しておられた方です。

元来、溝というのは、水が生命で、農業にとって欠くことのできないものです。

その溝を構成する杭も大切です。

耳とは、古代では長であられます。

したがって、溝咋は農業神を意味した溝咋神が、この地方においていかに信仰されたかは、今日立派な松並木をもった馬場先が残っていることからも察せられます。

神社に伝わる「暁の御鏡」は、天長年間(824~834年)の旱魃の際に祈雨して、霊験のあったことを伝えています。

現在、社殿は、寛保二年(1742年)地元出身の両替商、米屋喜兵衞が造営したものといわれています。










「山門」を潜ります♪



















「事代主神社」です♪



「保食神社」です♪




















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